日本とフィンランド
教育について最近思うことは、教師という職業が軽視されているのではと感じるのです。
生徒の保護者が「たかが教師が何を言っているの」という態度の方も多いし、「どうせ頼りにならない」と感じている生徒たちも残念ながら多い現状です。
何故教師たちがこれほど信用されないのか考えた時に、北欧フィンランドの教育現場から日本と大きな違いがあることが分かったのです。
そもそも何故フィンランドを挙げるのかというと、日本が目指したゆとり教育に似た教育をしながらも、世界でトップクラスの学力を誇るのです。
また教師は尊敬される職種としてありますし、滅多に教師が生徒に対して体罰や鉄拳制裁を行わないことも有名。
フィンランドの教師と日本の教師を比較した時に、充実した研修の他に、コーヒーを片手に教師同士がコミュニケーションをとる場をフィンランドでは設けているのです。
日本の場合は強制的な飲み会など親睦会が開かれますが、新人教師は委縮してしまいますよね。
フィンランドでは誰でも対等に教育について議論・相談ができる環境が整っています。
生徒と教師の立場もフレンドリーですし、日本の年功序列による理不尽な対応も少ないそうです。
日本にとってフィンランドの教育論はいろいろと考えさせられます。
だからと言って私は他国の真似をせよと言ってるのではなく個人個人に適した指導法を確立できたらと常日頃から思う毎日です。
若者と・・・
世間で良く言われる「最近の若者は~」から始まる文句がありますが、現代の若者たちと接すると真面目で授業をしっかり受ける生徒が多い印象を受けます。若者たちからは一種の悟りのようなものを感じますし、「良い子になろうと必死」な所も気になるのです。真面目で努力をする姿は好感が持てるのですが何かが足りないと言った違和感を感じずにはいられない…。私はその違和感の原因が保護者にあるのではと思っています。スパルタや暴力で指導する教育論ももちろんですが、それ以上に目立つ保護者は「子供に対して過保護」だということ。例えば何をするにも保護者が口を出したり、「そんなことまで指摘するのか」と感じたことが何度もありました。教師や友人との関係性、将来の目標までもが親によって決められてしまう現状。自由で快活なように見える生徒でも、親の前では口が悪いですが精神的に奴隷のような扱いを受けているのです。生徒が何を言っても聞く耳を持たない保護者達…。若者から感じる悟りや達観したような表情は、何をしても変わらない現状に諦めを感じているからではないでしょうか。まだ自立する力の無い未成年たちにとって、最近の教育現場で感じるそのような要素は恐ろしいと思いますね。
上下関係
最近になっても教師が生徒に暴力をふるう事件がニュースになっていますが、いわゆる鉄拳制裁は主に運動部、体育会系の集団で起きやすい現象なのです。
先輩・後輩などの年功序列制度が未だに根強く残る日本ですから、新人や他者と違う考えを持つものイコール部外者という排他的な考えが広がっています。
確かに礼儀作法は社会進出にとって大切な要素ですが、教育者を含めてそれに加担するのはどうかなと…。
一時期、プロスポーツ選手たちによって暴力による指導について賛否が分かれましたが、プロの立場からでも鉄拳制裁を疑問視する方もいて、学校教育における部活動の問題点が浮き彫りにな〜と・・・
大学ではスポーツ推薦で入学してきた将来有望な生徒が、部の上下関係や時に暴力を理不尽に振るわれる環境に耐えられず辞めてしまうことも多いです。
実力がありながらも精神的なことでイジメを受けたりと、そのようなことが当たり前のように起きている現場に対して恐ろしいと感じてしまいますよ。
過去に義務教育の現場でも、まるで軍隊のような指導をした学校が存在しますが、現代の学校でも嘘のような教育が実践されているのが事実。
もっと広い視野を持ち、生徒たちの気持ちを尊重できるような指導ができない環境はいち早く危惧されるべき。
校則違反
最近、女子生徒のうなじが生徒を欲情させるからと、ある中学校でポニーテールが校則違反になる事案が発生しました。
この事案について生徒は直接関わっておらず、男性教師たちがPTAを通じて校則を受理したのです。
確かに生徒たちにとって中学生の年齢は大変な時期であることは理解していますが、生徒の意思を無視して理不尽な校則を制定するのはどうかなと思いました。
生徒が欲情するからポニーテールを辞めてほしいという意見があれば分かるのですが、男性教師たちの意見なので大人たちの方が健全ではないと感じてしまいます。
(この学校の生徒指導担当の教員によると、同校にポニーテールを禁止するルールが存在するのは事実だそうです。ただし、校則内に明記されているわけではなく、あくまでも「学生にふさわしくない髪型」のひとつとして扱われているとのこと。
校則の順守状況について尋ねると「流行していないのか、そもそもポニーテールにしている生徒がいない」と生徒指導担当教員。学校側でポニーテールに関する明確な規定を設けているわけでもなく、特に指導をしたことがないといいます。なお、同校のブログには、髪を頭の後ろで1本にまとめたポニーテールっぽい女子生徒の写真が掲載。グレーゾーンが広く、あまり運用実態のないルールになっているのかもしれません。)
日本の学校教育、特に中学校ではオカシイと感じる規則が多い気がするのです。生徒にとって難しい時期なこともあって、保護者や教師たちがルールで縛ることや暴力で理解させようとする…。そのような流れが中学教育でまだまだ残っています。
ある意味で過保護と言いますか、これでは生徒たちは何が正しくて何がオカシイのか、または自主性や個性が失われてしまう気がしてなりません。教師という存在は生徒に対して納得が行くようにルールを教育しなければならない立場。欲情するからという個人的な解答では生徒たちは納得しませんし、教育にとってもマイナスになるでしょう。
疑問と学習
最近の子供達は、物事に対して「なぜ?」とはっきりと言う事が多いようです。
その「なぜ?」を解決するためには、子供達に考えさせることが必要なんだろう。と、常々考えている。
子供達自ら、考えさせる事が教育する立場の人間には必要なのだろうと思います。そして、学力の低い子供には、ある問題に対してヒントを与えることも時には、必要になってくるのだろうと思います。
教育する立場の人間に必要なのは、子供に自信をつけさせる事と子供の自主性を尊重することだと、私は思います。
出来ないからと言って、その子供に怒るという事は間違えていると個人的には思います。子供の意思を尊重させることが、必要になってくるのではないかと思うのです。
怒って良いのは、子供がある種のルールを守らない時に限定するべきだと思います。それに対しては、暴力はいけませんが口頭でキツく怒る事も必要になってくるのではないかと思います。
それ以外は、なるべく怒らず促すという方向性で良いのかなと思います。出来るだけ、子供達にとって楽しい教育環境を創っていくべきだと思います。
何かを学ぶことが楽しいと子供達が思えれば、自分から進んで勉強もすると思います。それさえ出来ていれば、何にも教えることは教育する立場の人間のすることは無いのかなと思います。
指導方法論
なぜ勉強が嫌いになるのか そもそもなぜ子供は勉強が嫌いになるのでしょうか。
勉強が嫌いな子供に共通する特徴としては、授業でやっていることがわからないや、授業がつまらない、教室ずっとしているのが耐えられないなどの勉強を嫌いになる理由だと言われています。
その他にも学校が楽しくないなどもありますが、このような原因に対して、重要なのはすべて考え方にあります。
自分の置かれている状況を客観的に分析することで、なんで子供が勉強を嫌いになるのかがわかってきます。そして、その理由がわかれば、その問題を解決することが可能になります。
今回ご紹介する勉強嫌いな子供の説得方法について、まずそもそも勉強とは、そもそも何であるかについて解説していきます。
勉強に対して興味を持たせる方法として、人は基本的に好きなものに対して、貪欲に知識を吸収したいと思う習性があります。
例えば、野球が好きな人がいれば、球団や選手の成績、特徴など細かく、調べてあれやこれやを考えると思います。この時に人はずっと楽しい状態にあります。そして、この流れも、端的に言えば知識の吸収と思考に当てはまるということができます。要は好きな物であれば、人は勉強するのです。
そして、勉強が嫌いな子供に対しては、学校の勉強と好きな物を結びつけることをしてあげればいいのです。例えば、野球でいえば、セイバーメトリクスを数学に、変化球の仕組みを物理になど、いくらでも関連付けることができますね。
そして、好きな物に対しては人は貪欲に知識を吸収し思考するので、この関連さえできれば、勝手に学校の勉強に興味が湧いてくることでしょう。
勉強が嫌いになった場合、子供が大人になったときに損をしてしまう可能性が非常に高まります。なので、できれば子供には勉強はしてほしいですよね。
でも、嫌いなものをいやいややらせるぐらいであれば、少しでも好きになる努力はした方がいいですよね。自分に合った方法はいくらでも見つけることが可能ですので、頑張って見つけてあげてください。
生徒思いの先生方 〜世界編〜
今回は世界の生徒思いの先生方についてです。
続きを読む